伝染病に悩まされた、江戸時代の人口。三島村の歴史vol.2。

こんにちは、晋作です。

三島村の歴史シリーズ、第2弾。
今回は、江戸時代の三島村の人口
資料が乏しく、数十年ごとにぽつぽつとある情報でグラフを作りました。
大きな変化は情報として残ってるので、情報がない期間はそこまで増減はないはず。

人口が何回も激減している原因は、伝染病
伝染病が流行った話は知っていましたが、詳しく見てみると想像以上の被害でした…。
病気ごとにまとめてみました。

 

疱瘡(ほうそう)

天然痘(てんねんとう)。
死亡率が高く、死ななくてもひどい痘痕(あばた)の残る、怖い病気です。
エジプトのミイラにも感染した跡があったらしいので、かなり昔からあったみたい。

被害状況

  • 1728年【竹島】 人口145人中36人死亡(約25%)
  • 1742年【硫黄島】人口380人中200人死亡(約53%)
  • 1785年【黒島】 人口395人中122人死亡(約31%)
  • 1793年【竹島】 3年間で推定人口120人中39人死亡(約33%)
    ※34戸中8戸死滅、1戸は島外へ転出

(パーセンテージは全人口中の死亡者割合)

1796年にイギリスで予防方法が発案され、1980年に根絶宣言が出されました。
こんな病気が今もあったら、と思うと恐ろしいですね…。
医学の進歩はありがたい。

 

腸チフス

チフス菌が体内に入ることで感染する病気。
発熱・下痢または便秘・発疹・肝臓や脾臓の腫れ・腸の出血や穿孔(穴が開く)など。
こちらは現代でもまだ感染例があります。
毎年20~30人ほど感染してるようです。

被害状況

  • 1833年【硫黄島】人口200人中半分が感染、40人死亡(20%)

感染者の40%が亡くなっているというのは、とんでもない脅威です。
現在では抗菌薬を使用することで、死亡リスクを下げられるようですが、恐ろしい…。

 

コレラ

コレラ菌によって感染する病気。
嘔吐・下痢。
年間300~500万人が感染し、10~12万人が死亡しているそうです。

被害状況

  • 1858年【黒島】 35人感染、21人死亡
  • 1859年【硫黄島】人口270人中50人に感染、30人死亡(約11%)

感染した人の死亡率はなんと60%。
水分とミネラルが急速に失われ、数時間で死に至るケースもあるそうです。
補充がしっかりできれば抗生物質が不要なこともあるそうですが、十分な対応ができない環境だったんでしょう…。

赤痢も度々流行していたようです。

伝染病以外にも、台風イナゴの大量発生などの自然災害もあります。
竹島・黒島はネズミの大群が襲来し、食料を食べつくされた記録も残ってます。
黒島ではネズミ対策でイタチを放し、今も生息しています。

食糧不足による飢餓も深刻な問題で、人口増加が難しい時代だったようです。

毒のある食べ物や、食べようと思えない食べ物をみると、

「これをよく食べようと思ったな~。」

といつも思っていたのですが、飢餓で苦しむ中で工夫したり危険を冒して発見していったんですよね。
そのおかげで今美味しく頂けるものも多い。
ありがたいです。

自分の祖先もそうやってこの島で生きてきたんだな…。
恵まれた時代に生まれたんだと、つくづく実感できます。

そんなことを考えた、三島村の江戸時代の人口推移でした。
では、また次回。

GO!MISHIMA!!

(参考文献:三島村誌)

離島ブロガー晋作

About 離島ブロガー晋作

三島村の竹島に2014年4月にUターンして、妻と息子と娘の4人暮らし。 2015年4月に「NPO法人みしまですよ」を設立。 村の特産品「大名筍」のブランディングをはじめ、観光・特産品開発販売・情報発信で村を盛り上げる活動をしている。 2018年4月、竹島に20年ぶりとなる商店「竹のいえ」をオープン。