こんにちは、晋作です。
島民インタビューシリーズ。
今回はまだまだ現役!島を支える離島の老人会。の記事でも登場してもらった、安永利廣さん。
カラオケ大好き。
利廣さんは、竹島出身。
15歳で竹島を出て、就職で関西や関東へ。
その後鹿児島で船乗りの仕事をし、病気のため37歳のとき竹島へ戻ってきたそうです。
ということは、戻ってきて33年。
私が産まれた頃に戻ってきたんですね。
戻ってきてからは出張所長や消防分団長を務めていたそうです。
そんな利廣さんに、竹島について語ってもらいました。
利廣さんが語る、昔の竹島
60年ほど前、利廣さんの少年時代の竹島はどんな様子だったのでしょうか?
「その頃は竹島もにぎやかだったよ。
児童生徒が100人くらいいるときもあった。」
ひゃ、100人!
今の10倍近い…。
そして今の島の人口より多い…。
どうやって暮らしていたんでしょう?
「自給自足。
芋とか野菜を作ったり。
筍は昔からやってたね。昔はわらの袋に筍を入れて出荷してたよ。
牛に載せて運んでた。
私はやってないけどね。
手伝ってたのはとびうお漁。
あの頃のとびうお漁はいい稼ぎになってた。
私も小、中学生の頃は半人前の給料を貰ってた。」
就職からUターンで帰ってきたときの竹島は?
「活気が無かったね。
人数、特に若者が少なかった。
筍工場はできてたね。」
活気のある島になるためには?
33年前でも人数が減って活気が無くなったと感じたそうですが、今はさらに減少…。
活気ある島に戻るには何が必要でしょうか?
「若者を増やすことだと思う。
それも、誰でもいいわけではなくて リーダーシップをとれる人間。」
そんな若者が来たいと思うには、どうしたらいいでしょう?
「島の魅力を作ることじゃないかな。
熱帯果樹などの新しい農作物を作るとか。
収入源が必要。
昔のように活気のある島になって欲しい。」
島のことを真剣に考えてくれている大先輩がいることは心強いですね。
活気のある島、村になるようにみんなでがんばっていきましょう!
GO!MISHIMA!!