村の書物に情報がない!九玉神社。三島村の歴史vol.10

こんにちは、晋作です。

 

白石先生とつくる三島村の歴史シリーズ。

前回作った “竹島の歴史マップ” のポイント1つ1つを掘り下げていきます!

今回は “九玉(くだま)神社” について。

 

三島村の歴史を調べるときにまず参考にするのが、“三島村誌”

平成2年に発行された三島村を知るための貴重な資料です。

 

しかし!!

 

九玉神社についての説明は、

「当島の内、水神、山神、秋葉権現、九玉神社等、数箇所あり。」

 

…以上。

 

つまり!

 

情報なし!!

 

でも!

 

情報なしのところから、白石先生が独自に調査中!

 

現段階でわかっていることをまとめました。

 

 

九玉神社の外観

神社という名ですが、外観は全く神社感なし。
(神様、すみません。)

住宅のすぐそばにある舗装されていない道を歩いて30秒。

いくつもの石造物群が存在しています。

年に数回整備をするのですが、ちょうど整備前で草ボーボーでした。

整備後にまた写真を撮り直さなきゃ…。

 

奥にあるのがブロックで作られた本殿?

可愛い鳥居が置いてあります。

手前の方には屋根付きの祠がいくつか並んでいます。

特に文字は見当たりません。

こんな祠が島内のあちこちにあるんですが、一体なんなんでしょう?

 

この神社の石造物で唯一文字が彫ってあるのが、本殿前の石碑。

石碑については三島村誌に一部情報がありました。

「奉寄進疱瘡諸願一基」

 

「奉寄進」は奉納寄付することですよね。

「疱瘡」は昔流行った伝染病。

「諸願」は伝染病が収まるようにお願いします、ってことかな。

「一基」はこの石碑1つ。

 

横にはこんな文字が彫られています。

「寛政伍年癸丑八月吉日所中」
(読み取れない文字がありましたが、三島村誌に記述がありました。)

 

「寛政伍年」寛政5年(1793年)

「癸(みずのと)丑(うし)」2つ前の記事で書いた六十干支(ろくじっかんし)で1793年を表す。
(※六十干支:甲乙丙… + 干支の組み合わせで表す暦。)

「八月吉日」8月吉日

「所中」??

 

三島村誌によると石碑が立った経緯は以下の通り。

寛政2年〜5年(1790年〜1793年)、竹島に疱瘡という伝染病が流行した。
当時の戸数34戸のうち、無事だったのは1戸(島外へ移住)。
残った家の人たちは全員疱瘡に感染した。
死者は39人、一家全員が死亡した家が8戸もあった。
原因は種子島から購入してきた女物の着物についていた菌とされている。

寛政5年の末、やっとの思いで生き残った女性たちが2度と疱瘡が流行しないよう、疱瘡の神に捧げる踊りをはじめた。
それが “馬方踊り”。
聖神社境内に疱瘡の神として “お伊勢様” を馬方踊りのときだけ祭り、その前で踊るようになった。
歌は念仏踊り調の悲しいしらべ。

疱瘡よけのため、石碑(燈籠竿石というらしい)を建てた。
九玉神社以外にも島内に5つの石碑がある。

 

といった内容が記されていました。

白石先生が調べたところ、5つの石碑のうち4つは確認できたが、残る1つが見つからなかったそうです。

 

長々と書いたんですが、この石碑と九玉神社の直接の関係性はなさそう。

島内の各神社に同じような石碑を願掛けで置いたということらしいですね。

 

ここからが、白石先生の真骨頂です。

 

 

九玉神社について調べる男

島内に情報がないなら、島外へ!

関連がありそうなところに連絡を取りまくって情報収集してくれている白石先生!

こんな方達に話を聞いたそうです。

 

東川隆太郎さん

まず連絡を取ったのが、かごしま探検の会の東川さん。

三島村にも何度も来島してくれて、いろいろなことを教えてもらっています。

「三島村はもともと川辺郡だったから、何かヒントがあるかも。」

というアドバイスをもらい、川辺郡へ。

 

 

川辺・坊津の九玉神社

旧川辺郡に範囲を広げて調べた白石先生。

すると、川辺と坊津に同じ “九玉神社” という名前の神社を発見。

 

なんと白石先生、2つの神社を直接訪問

神社の方に話を聞いたそうです。

そこで、“三国名勝図会(さんごくめいしょうずえ)”という資料をゲット。

これは江戸時代後期に薩摩藩が作った領内の名所などを記した文書。

その中の川辺郡の記録に九玉神社について書かれています。

 

「九玉神社を島津忠良(1493〜1568)が7社建立した」

 

竹島の九玉神社がその7社に入るかどうかは…、調査中。

 

九玉神社の祭神は共通で “猿田彦” を祀ってるとのこと。

次に白石先生は “猿田彦” を調査。

 

 

埼玉の三芳町教育委員会

猿田彦を調べていたら、“庚申信仰” が出てきたそうです。

庚申信仰について詳しくまとめていたのが三芳町の教育委員会

連絡すると、詳しい資料を送ってくれたそうです。

 

調べてみると、やはり猿田彦と庚申信仰が関わりがありそう。

竹島には庚申信仰に関する石碑が多数あるので、やはり関係があるのでは?と考えているそうです。

 

白石説

調査途中ですが、今の段階で白石先生が立てた予想は以下の通り。

 

川辺には九玉神社が7社ある。

竹島の神社もそのうちの1つではないか。

猿田彦を祀っていて、竹島も庚申信仰がそこから広がったのでは?

 

島の中だけでなく、島の外の繋がりが見えてくるのは面白いですね。

また続報があったら記事にします。

 

うちにも九玉神社あるよ!

という情報お待ちしております!

GO !MISHIMA!!

離島ブロガー晋作

About 離島ブロガー晋作

三島村の竹島に2014年4月にUターンして、妻と息子と娘の4人暮らし。 2015年4月に「NPO法人みしまですよ」を設立。 村の特産品「大名筍」のブランディングをはじめ、観光・特産品開発販売・情報発信で村を盛り上げる活動をしている。 2018年4月、竹島に20年ぶりとなる商店「竹のいえ」をオープン。