謎の山、ガラン山調査で石碑を発掘!三島村の歴史vol.11

こんにちは、晋作です。

 

本年1本目のブログは歴史シリーズ!

島の人も場所がわからなかった、「ガラン山」を調査しました。

その調査でなんと…、埋もれていた石碑を発見!!

村の資料にも載っていないような、載ってるような…石碑の正体は?

 

 

ガラン山調査のきっかけ

きっかけは白石先生が三島村の資料、“三島村誌” を調べていた時のこと。

三島村で昔流行した伝染病 “疱瘡(ほうそう)” を調べていると、関連する石碑についての記述が。

それによると、聖神社に2基、九玉神社に1基、大山神社に1基、そして、ガラン山というところに1基あるようなのです。

でも、その中でガラン山だけは聞いたことがない場所

島の人に聞いても、はっきりわからなかったそうです。

 

さらに資料を調べていくと、ガラン山には別の石碑があることが判明。

白石先生がその石碑の場所から、ガラン山の場所を導き出してくれました!

さらに道路向かいにいくつかの石碑や祠があるんですが、竹や草に飲み込まれている…。

どこにあるか分かります…?

調査するために、草刈りを開始!

Before!

After!

 

Before!

After!

竹島石で造られた石造物がいくつも出てきました!

そのうち1つはコンクリートブロックでわざわざ囲われていました。

さらに、真ん中に何やら道のような跡が…。

竹を切って道を少し登ると、崩壊した石造物が。

組み立てると、のようなものになりました。

あいにく文字などは刻まれておらず、どんな意味を持つのかは不明。

さらに奥の方へも道のような跡が…(写真では分かりにくいですが)

竹をへし折りながら進むと…、

 

進めど進めど、何もなし…。

旬になったら筍が採れそうでしたけど。

 

気を取り直して、コンクリートブロックで囲まれた石碑周りをもう少し綺麗に整備。

ブロックの横側をきれいにしていると、草の下に石のような感触が…!

積もった笹の枯葉をどかすと…、小さな石碑が出てきました!!

ただ、途中で折れているらしく、彫ってある文字からは情報が読み取れず。

「寄進石塔一基」

つまり、「石碑を一基作りましたよ〜」ってことですね。

左右にも文字があるのですが、文字数が少なくて意味がわかりません。

もしかしたら、埋まっていて下の方に文字があるかもしれないと、掘ってみました。

その時に左側にある石が邪魔で…。

頑張って掘り起こして撤去することに。

 

すると!!

 

なんと、折れた石碑の上部でした!!

こんな形の石碑、竹島で他には見たことありません…!

土がたくさん付いていて文字が読み取れないため、すぐ近くの小川で洗浄することに。

After!

すっかりきれいになり、文字も読み取れるようになりました!

安政7年に建てた疫病を避けるための石碑のようですが、三島村誌にも載っていない…。

この年は竹島にもコレラか赤痢が流行したと思われるが、記録がないとのこと。

 

非常によく似た内容の石碑が九玉神社に。

「并 末社諸神」という部分が同じ。

「末社」は本社の支配を受ける小神社、

「諸神」はたくさんの神様のこと。

 

「并」

「〜では決してない」という否定

「あわせる」という意味があるらしく…、どっちなのかわかりません…。

 

ただ、ガラン山は竹島の中でかなり大事な場所だったのではないでしょうか。

 

疱瘡の石碑が3つの神社とガラン山に。

コンクリートブロックで大事に囲まれている。

九玉神社と同様に神様を表現する文字がある。

また、三島村誌には「ガラン」が “神仏” を表す、とも記載がある。

 

ちなみに、コンクリートブロックで囲まれた石碑の正面には、

「心 神 様」

と彫ってありました。

 

謎が謎を呼ぶガラン山。

もう少し調査を進めていきたいと思います!

 

GO !MISHIMA!!

離島ブロガー晋作

About 離島ブロガー晋作

三島村の竹島に2014年4月にUターンして、妻と息子と娘の4人暮らし。 2015年4月に「NPO法人みしまですよ」を設立。 村の特産品「大名筍」のブランディングをはじめ、観光・特産品開発販売・情報発信で村を盛り上げる活動をしている。 2018年4月、竹島に20年ぶりとなる商店「竹のいえ」をオープン。