謎のほこらの正体!三島村の歴史vol.13

こんにちは、晋作です。

 

今回の歴史シリーズは、

『島の中にたくさんある、謎のほこら』

正体について追及していきます。

 

その謎のほこらとは、冒頭の写真のような石造物。

中に空間があり、フタのような扉がついています。

上の屋根部分の石に、ちゃんとこの扉をスライドする溝もあるんです。

ということは、作ってからも開け閉めする用途があったということ。

 

島の中にたくさんあると言っても、どこにでもあるわけじゃありません。

神社やガラン山など、神聖な場所?に集中してるんです。

 

 

ほこらの正体は!?

ほこらは原型をとどめていないもの、扉がないものなども多くあります。

基本的に文字も彫られていないので、正体がわかりませんでした。

そんな中、三島村誌を読んでいると、ほこらの正体についてちゃんと書いてありました!!

 

「マサゴという浜の小石を後向きになって最初手にさわったのを拾い、次に年齢の数だけ拾って神に捧げ、病気にかからぬように祈る風習もあった。竹島の各地にある石ほこらの中には、このマサゴが二〜三個ずつ入っている。」
(三島村誌 267ページ)

 

このほこらは、

病気よけ祈願のほこら

だったようです!

黒島や十島村の中之島にも同じような風習があるみたい。

「石が大きくなる」と信じられていたという記載もありました。

後で入れ替えたりしてたのかも?

 

壊れていないほこらを見ると、確かに石が入ってる

こちらは聖神社に並ぶほこら。

中を見てみると…

石を確認!

小石というか、けっこう大きめ!

 

「神に捧げる」とあるように、神社やガラン山など神様がいるとされているところにあります。

石の数が少ないほこらが多いということは、小さな子供が病気にかからないように祈願していたということですね。

中には大きなほこらもあって、それにはたくさんの石が入っていました。
(隙間からなんとか覗きました)

この写真の正面にあるほこらです。

他の倍くらいの大きさ。

 

ガラン山のほこらには1つだけ長文が彫られたものがありました。

この文章もじっくり見て、報告したいと思います。

 

医療が発達していない時代の、さらに医療水準の低かった場所。

病気により近しい人がどんどん亡くなっていくのは相当な恐怖だったと思います。

今のコロナの比じゃないでしょう。

当時かなりの労力を必要とするほこらを作ってまで、神に祈るしかなかったことを思うと、いたたまれない気持ちになります。

一方で、知らなかったことを知ると、今まで価値を感じなかったものに価値を感じるようになります。

新しいものを作っていくだけじゃなく、過去を知ることも大事ですね。

 

歴史シリーズ、頑張って続けていきたいと思います。

GO !MISHIMA!!

離島ブロガー晋作

About 離島ブロガー晋作

三島村の竹島に2014年4月にUターンして、妻と息子と娘の4人暮らし。 2015年4月に「NPO法人みしまですよ」を設立。 村の特産品「大名筍」のブランディングをはじめ、観光・特産品開発販売・情報発信で村を盛り上げる活動をしている。 2018年4月、竹島に20年ぶりとなる商店「竹のいえ」をオープン。